見えない性格に翻弄される
「非科学的原理で具わる一つの性格から現れる一面から」
自己欲求や願望が満たされず思い通りにいかない不満は必ず第三者に向けられています。
無意識の性格の主張するこだわりの個性は自己納得の持論である事が分からないので、人や物事のあり方の「こうあるべき」という意思は、それぞれの性格のタイプの持つ持論と葛藤しているとは思っていません。
性格で異なるこだわりの生き方や考え方は自分自身を評価する判断基準になると同時に他者との比較評価を図る基準でもある訳です。
それぞれのタイプの持論はそのタイプにとっての正しい評価基準なのですが、自分が一番正しいと言う勘違いの正当性を他者に向けているとは思っていませんから問題発生の要因になっています。
性格の持つ無意識の自己意思は正しいか正しくないかの評価ではなく、自分自身の納得の上に成り立つのが持論なので、その性格の持つそれぞれの意思は自分自身にとっての正しい主張という事になります。
それに反する他の人の持論は批評批判の対象になっています。
私たちは見えない性格にコントロールされていますが、無意識の自分の気持ちに忠実に生きているってことです。
人間は無意識の心にコントロールされている事は認識できなくても、必然的に具えた無意識の一つの性格の心の働きに従って、自分自身をコントロールする能力を具えた「天然知能ロボット」という訳です⁉︎