死後の世界はあるのか?

TVの話題から…人間の死後の世界はあるのか?

あるかも知れない…都市伝説みたいな話ですが…?

 

唯物論で言う魂の世界なのか?夢の中の無意識の中で脳が投影する幻覚に現れる意識が描くものは実在するのでしょうか⁉︎

 

人間を形成しているのは元素である事から死後の生命体の物質は焼却されようと埋葬される過程に関係なく元素は宇宙空間の何らかの物質と結合しているとしたら…意識を持たない元素として存在するのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

人間って自分勝手な動物?

無意識の性格の持つ心に突き動かされている人間関係は「なぜ?どうして?」の疑問だらけですね。

 

無意識の世界では自己欲求が満たされるか満たされないか?自分の意思が尊重されるかされないか?全て自分の意思を基準に他の人と比較しているのは間違いない様です。

 

学歴やIQとは関係なく、具わっている一つの性格の生き方や考え方の個性は自分自身の存在的価値と生きる力の能力を示しているのかも知れません。

 

性格から発せられる自己主張の持論は自分にとっての正しい答えかも知れません。

その主張によって招くストレスの原因が自分自身の持論にあるとは思っていない様です。

 

無意識の中の自分に翻弄されているとは全く気付かないのは、他の人も同様に自分自身の無意識の性格に翻弄されているとは思っていないということですね。

 

非科学的現象から見た無意識の実体の一面。

見えない性格に翻弄される

非科学的原理で具わる一つの性格から現れる一面から」

 

自己欲求や願望が満たされず思い通りにいかない不満は必ず第三者に向けられています。

 

無意識の性格の主張するこだわりの個性は自己納得の持論である事が分からないので、人や物事のあり方の「こうあるべき」という意思は、それぞれの性格のタイプの持つ持論と葛藤しているとは思っていません。

 

性格で異なるこだわりの生き方や考え方は自分自身を評価する判断基準になると同時に他者との比較評価を図る基準でもある訳です。

それぞれのタイプの持論はそのタイプにとっての正しい評価基準なのですが、自分が一番正しいと言う勘違いの正当性を他者に向けているとは思っていませんから問題発生の要因になっています。

 

性格の持つ無意識の自己意思は正しいか正しくないかの評価ではなく、自分自身の納得の上に成り立つのが持論なので、その性格の持つそれぞれの意思は自分自身にとっての正しい主張という事になります。

 

それに反する他の人の持論は批評批判の対象になっています。

 

私たちは見えない性格にコントロールされていますが、無意識の自分の気持ちに忠実に生きているってことです。

 

人間は無意識の心にコントロールされている事は認識できなくても、必然的に具えた無意識の一つの性格の心の働きに従って、自分自身をコントロールする能力を具えた「天然知能ロボット」という訳です⁉︎

 

 

 

人間の不思議…性格が決まる始まり

文字や音は一種の暗号かも知れません。
赤ちゃんだろうが胎児だろうが、先天的に身体的な不都合があっても無意識の中に具わる性格は五十音が基本になっています。「Right」さんも「Light」さんもフルネームが同じなら同じ性格になります。

 

疑問はさらに疑問を抱かせます!

五十音の意味はそのうち分かります…性格が確定する要素は人間の生命体に存在する何らかの非科学的原理がある様です。

 

日本には戸籍制度があります。戸籍登記を境に性格が具わったり変化している事からその認識で判断しています。

仮に結婚相手がわかったからと言って性格はその時点で変化しません。入籍した時点で変化します。

例えば織田信長の本名は「おだきちほうし」が幼名で徳川家康の本名は「まつだいらたけちよ」が幼名です…両者の性格の特徴は幼名で分析すると生き方や考え方が幼名に現れています。

この事から戸籍制度がポイントではないのです。

性格に反映するのは絶対条件の姓と名の組み合わせが確定した時点で性格に反映しているのは確かてます。

国によっては登記制度のない国もあります。結婚してもフルネームはそのままですから生命誕生に命名された名前の持つ性格の存在的価値は変わらない様です。

だから結婚して「こんなはずではなかった」が起こらない様ですね。

 

 

生命体形成と性格形成は違ってた

本名が性格形成の絶対条件の要素になっています。

姓名の文字には何らかの物質的な性質があるのではというのが私の研究課題です。

 

宇宙の何らかの物質要素が姓名の文字の何らかの性質に共鳴し、三次元空間では何らかの物資に変化した要素が脳に反映しているとしたら…生命体と宇宙空間では何らかの力が働いていると推測しています。

 

言語は文字や発声音声を総称して用いています。

外国語は一旦ローマ字に変換し漢字は平仮名に変換すると五十音に当てはまりますので…そう言う意味で世界共通になります。

言語は解釈の意味で用いていますので、RightとLightをローマ字変換すると呼び名はライトになりますから五十音に当てはめるとRとLは関係なくなります。

例えばDonald.j.Trumpさんの場合本名は日本語の呼び名に変換するとドナルド・ジョン・トランプになります。

名前を第三者が勝手に変更手続きしたら、変更された名前(本名)の性格に変わります。本人の意思とは関係なく組み合わされた文字に応じて新たな性格が具わります。但し、芸名や偽名は性格に反映していません。

赤ちゃんの呼び名の愛称や敬称は性格には反映されません。「ゆうや・ゆうき・ゆうぞう」のいずれかであったら文字の意味する記号が変わりますからそれぞれ異なる性格が具わる事になります。

また愛称や敬称がちゃんであろうとくんであろうと識別は飽くまでも確定した名前が基本条件です。

性格の認識は無意識ですので認識するしないに関係なく性格が具わる原理は姓名に由来して非科学的現象は私たち人間の性格を導いている事は確かな様です。

 

言語は世界共通

言語は文字そのものを音として捉えるとすべての言語は日本の五十音が世界の言語の基礎になっています。

 

言語の意味は人間が音声または文字を用いて情報を伝達する意味で表現しています。

 

性格に反映する言語の要素は音ではなく姓名はカタカナやひらがなに文字の意味する記号に置き換わります。外国語は一旦ローマ字変換したときの発生音声を記号に変換すると、日本の五十音に全て当てはまります。

 

つまり人間である以上どの様な状態に置かれた方でも姓名の文字の組み合わせで性格は確定するという事になります。

 

赤ちゃんの場合も母胎にいる時でも誕生後であっても両親が決めた名前が確定した時点で姓名の組み合わせが完成し一つの性格が具わります。

両親の音声が影響を与える事は絶対ありません。また結婚などでも音に反応する事はありません。もう一つ性格に反映する要素は本名である事です。

性格形成に反映する条件は、本名である事とその文字の意味する記号の組み合わせが性格が具わる条件です。英語のLとRは名前をローマ字変換又は平仮名の呼び名の通りに発声しますので五十音に当てはまりますので世界共通の所以です。

Litgh&Rightはライトの様に変換します。

少し解釈が難しいかも知れませんね。

名前と姓次第で性格は誘導されていた!

生年月日と性格は全く関係ありませんでした。世界共通の意味から姓名は文字ではなく強いて言えば言語は国々の文字文化に関係なく一つ言語に集約できますので…その意味で名前に起因して性格は確定しています。さらに付け加えると言語は音の響きで捉えると世界共通が成つというわけです。

 

つまり両親が無意識につけた名前の文字の意味する言語は音の響きになりますので…それによって生命誕生の命名で最初の性格は確定し…結婚すると姓の文字が変わり名前がそれに組み合わされると文字が新たに組み合わされますので…性格もそれに準じて変化したりしなかったりします。つまり姓名の組み合わせ次第という事です。勿論世界共通ですから外国人も当てはまります。